技術の家庭菜園

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雑感:ブログタイトル変更と虚無の話

色々あったので、とりとめなく文章を書きたくなった。
→ほんとにとりとめなく書いたら5000字超えてて笑った。

ブログタイトルの変更が主題ですが、一番言いたかったのは3節以降のお話です。

ブログを始めたきっかけ

「きっかけ」と見出しをつけたが、最初のきっかけは正直憶えていない。

これは黒歴史なのだが、15年ほど前、気がついたらexciteブログをやっていた。
ただの日記のようなブログで、くだらない身内ネタが殆どであった。
exciteブログではアカウントを変え、タイトルを変え、なんやかんや5年くらいやっていただろうか。

この黒歴史を8年前にすべて精算し、始めたのがTumblrだ。
このときのブログタイトルが「おぼえがき」であった。

内容は大体音響機材の話で、所持機材のリストやイベントで用いた機材構成など、本当におぼえがき程度の内容であった。
こちらは、5年で10本も書いてなかったと思う。

そして3年前にTumblrも記事を削除し、作成したのが、はてなブログである。

さて新しく開設した本ブログは明確に目的を持って作った。
本ブログは技術ブログを目指している。

技術ブログとは、特定の技術に関するノウハウについて記したブログのことです。
技術ブログには、初心者向けの技術の入門記事や、プログラミング言語について、便利なフレームワークやライブラリの紹介、特定の問題を解決する方法など、さまざまな記事があります。

技術ブログを始めるのにおすすめのサービス8選とサービスの選び方3つを解説 | テックマガジン from FEnetインフラ

そもそもインターネット黎明期はブログと言うと技術ブログが殆どであったように思える。
私のように、少年期からパソコンがあり、インターネットがあった身からすると、これらを書いてくださる人は尊敬の対象であった。
彼らがいてくれたおかげで、私は技術を身につけることができた。
そして私もアラサーになり、自分の取り組みを外に伝えたい、そして、他の人に生かして欲しいと切に願うようになり、本ブログは開設された。

だからといって、何でもかんでも書けばいいというわけではない。
大半の技術的知識はすでに先人がブログやHPでまとめているか、コミュニティサイトで結論が出ている。
わかりやすいノウハウや入門記事は需要があるのかもしれないが、私に書けるとは思えない。

そこでこのブログでは、「新奇性」もしくは「特筆性」というのを、一つのテーマとしている。
例えば変換方法がわからない謎プラグの変換回路作成、探しても英語しか出てこないノウハウ、日本だと誰も使ってない楽器のレビュー、スパコンを使った超並列の乱数発生…。
おそらく検索しても私のブログくらいしか出てこないであろう内容を、書くのが一つのテーマである。
まぁそれらの要素が無い記事もあるが、それは単によっぽど書きたかっただけの話である。
それ以外の十分に手垢のついた取り組みは、だいたいTwitterに流して終わりにしている。

ちなみに、この方針で記事を書いているせいか、身内からも興味を持たれないようなニッチ分野の記事が多く、アクセス数はとても減った。
最初に作ったexciteブログのアクセス数は2000アクセス/月くらいであり、大して多くもない数だったが、さらに減り今は500アクセス/月ほどである。
だが、2000アクセス/月のほぼ全てが知り合いであったのに対し、今の500アクセス/月の内訳は、検索サイトからのアクセスが約95%である。
これは私にとって、とても喜ばしいことだ。

ブログタイトルの変更

このブログを立てるときタイトルを考えるのが面倒だったため、Tumblrと同じ「おぼえがき」としてしまった。
だが、先のTumblrは間違いなく私のおぼえがきであったのだが、本ブログは私のおぼえがきではない。
むしろ、外に向けて、知識を発信することを目的としている。
Tumblrのときと違って、はてなブログの記事は割と真面目に書いているのだから、しっかり誇るべきである。

ということで、ブログタイトルを変更することとした。
新しいタイトルは「技術の家庭菜園」である。

カメラ趣味の一部界隈ではレンズは「庭に生えている」ものであり、「栽培」して「収穫」するという、まぁ一種の冗談というかミームがある。
彼らは数十万円もするそのレンズを買うとき、さも何事でもないように「庭に生えていたので収穫しました!」と言う。
私はこの表現が大好きだ。
何事でも無いように見せて、表現されているのは極めて純粋な喜び、自慢である。
その「果実」(レンズ)が欲しくって、庭に種を蒔いてから、それを「収穫」(購入)できるのはいつかと待ちわびできたのだろう。
そしてついに実った、その素晴らしい「果実」が嬉しくって、そしてそれが自分の庭に実ったことを自慢したいのだろう。

このブログも似たようなものである。
平静を保って極力抑揚の無い文体で書いてあるが、その実、できた「果実」(技術)が嬉しくって、自慢したくって仕方ないのだ。
そして、レンズと同じように、仕事で使う畑で穫れたわけでなく、庭の家庭菜園で実った果実なのだから、喜びもひとしおである。

tpcbtw.hatenablog.com

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技術の習得とそれによる課題解決による、喜び、自慢、(と承認)こそ、私の原体験でもある。

変更に至った心境の変化

さて、なぜこんな自己陶酔まみれの気持ち悪い講釈をたれてまで、ブログタイトルの変更をしたのか、その経緯について述べたい。

私はここ半年、仕事でわりと大きな挫折を味わった。
詳細を書くと余りにもダサいので(すでにダサいが)、詳しくは書かないが、仕事に対する技術的興味がなくなってしまった。
私は、これでも、かつて勤勉な技術者であり、特に科学技術に対しては心酔し結構誠実な方であったと思う。
そのため、科学技術を仕事にできることは私にとって喜ばしいことであった。
仕事における、技術開発や課題解決を通して、科学技術の発展や、夢の実現、自己実現に繋がっていければと、心の底から思っていた。

だが、私はこの半年でそれを、無理だと思ってしまった。
これには会社の都合だったり、上司の都合だったり、もしくは自分の都合だったり、様々な要因がある。
そして、「無理」と思っているのはあくまで私であり、実際どうかは誰もわからない。
しかし、先週致命的な出来事が有り、私はそれを完全に無理だと思ったし、諦めてしまった。

さて、いざ諦めてみると、私はどのように生きればよいのだろう。
今の私は「オタクを辞めた虚無」でしかない。
note.com

「オタクを辞めた虚無」とは「自由さ」氏の言葉を借りると「情動と感動が劣化したオタク」である。

私の原体験はアニメ・ゲーム等ではなく、技術にある。
コンピュータに触れるなかで、古のインターネットコンテンツと紐付いた結果、アニメゲーム漫画などと連なっていき、私の人格形成がなされている。(そういう意味ではアニメやゲームも原体験の一部ではあるが、主たるものは技術にほかならない。)

だが技術的な情動は仕事でもプライベートでも無くなってしまった、今の私は「オタクを辞めた虚無」に他ならない。

私はプライベートで言えば、約2年前から虚無になっている。
先に自分のブログ記事を2つ示したが、どちらも2年以上前の記事でる
技術とオタク趣味(と自己顕示)の、融合的な発現であったVJなどの活動も、2年前を最後に行っていない。
だが、仕事が忙しかったということもあり、プライベートが虚無になりつつあることに危機感を憶えつつも、仕事が技術であることも有り、そこに自らの原体験を見出すことができた。
そのため、人生すべてが虚無だとは私は感じていなかった。
およそ殆どの人が仕事に対し、虚無になっていることであろうから、これは幸せなことだったのかもしれない。
だが、今回の挫折により、私は仕事に対する諸々の情動さえ失ってしまった。
人生すべてが虚無になってしまったのだ。

ここで「自由さ」氏の指摘が身にしみてくる。
先の「自由さ」氏の記事を私なりに要約すると以下だ。私が書くと味気ないため、気になる方はぜひ本文を参照されたい。

  • 「オタクを辞めた虚無」が、いい加減な趣味や暇つぶしに傾倒するくらいなら、オタク的取り組みを深化させ、オタク的な「ていねいな暮らし」を目指すべきでないか
  • オタクとしての自覚、原体験を大切にし、少し情熱を持って現状を発展させていこう
  • 「そういった営みが人生の目的意識をクリアにして、自己実現の一助となると信じている。それに熱意を持って臨んだほうが、ぜったい、うれしいしたのしい。」

上記の自らの原体験に関する考察や、現状抱いている虚無感も「自由さ」氏の指摘を踏まえ言語化したものである。
私はこの「自由さ」氏の意見が大変気に入ったし、ぜひともそれを実践したいと思った。

仕事の虚無感をどうにかする気は、今はとても起きないが、同時に自分の原体験に基づく、技術による自己実現を諦める気はさらさらない。
だからこそ、私は今、この2年間虚無になって止まっていた趣味を深化させていきたいと思っている。

情熱は、幸運なことに仕事の分が余っている。
そのための第一歩が本記事と、ブログタイトルの変更である。

別にこれは今後頑張ってブログを書いていく、更新頻度を上げていく、ということを言っているのではない。
そもそも私にとってブログを書くことが重要でなく、自己実現につながるような技術探求を行うことが重要である。
それが、どのような形で世に出るか、むしろ世に出ないのか、よくわからないが、しっかりと自分の興味を持てる分野の探求を行っていきたいと考えている。

だが最初に取り組んだのがブログだったというのにも、一応だが理由がある。

先の「自由さ」氏がブログを書くのを勧めていたことと、そしてそれに影響され友人がブログを書き始めたことである。

popsense.hatenablog.jp

というわけでね、自分も何かくだらねぇネタでもいいからブログを週1ぐらいの頻度で更新していこうかなと。

彼に影響され、私もまずはブログを書こうと思い立った次第である。
きっかけなんて単純でいい。

ついでに書いておきたかったこと

先のトピックスとは少しずれるが、関連して触れておきたいことが2つある。

これはなんやかんや長い付き合いの、大学の先輩であり、会社の先輩である、大変良くしてもらってるオタクから言われたことである。
このオタクは仕事もプライベートのかなりアクティブに動いている方であり、尊敬しか無い。爆発してほしい。

この質問に対し、私は「ほんとに何やってるんでしょうね…」としか答えることができなかった。
そりゃ虚無をやってるのだから、答えようがないのである。

次会うときまでには、答えれるようにしたい。

もう一つ、

これは先日友人の元オタクと久しぶりに酒を飲んだ日の深夜、微睡みながらその酒を思い返してしたツイートである。(ちなみにこの台詞の発言者はアテナさんではなかった。オタクとして失格である。)
彼とも長い付き合いであるが、久しぶりに会ったこともあり、ついつい懐古話に花が咲いてしまい、これじゃまるで懐古厨だと笑い、結局その後ずっと昨今のVTuberの話で盛り上がった。
彼も、仕事は大変そうだが、プライベートはアクティブに活動しており、オタクは半分辞めてるが、虚無ではなさそうだ。

そんな彼と来期のアニメの話はできなくても、VTuber伊東ライフの話で盛り上がれるのは私にとっては大変嬉しかった。

私が虚無じゃなかった頃、そしてお互いまだオタクだった頃、本当に馬鹿ばっかりやって楽しかった。
今や私は虚無になって、インスタントなコンテンツしか摂取してなかったけど、それらが楽しくないかと言ったら、そんなことはない。
虚無に飲まれ、今の楽しさが見えなくなりそうだったときに、今ちょうど摂取しているコンテンツが共有でき、それで盛り上がれるのは一つの発見であった。

ツイートで引用した発言は、私が愛してやまないARIAという作品のアキラさんとアテナさんの台詞であるが、その意味を私はやっと理解できたのである。

まとまりがないので雑にまとめる

まとまりのない本記事をまとめると、
「仕事クソだから、趣味頑張るわ。」
というだけのことである。
ブログタイトルの変更はその第一歩である。

アラサーになり「再挑戦」という言葉をよく耳にするようになった。
これは私なりの小さな「再挑戦」である。

 

(2020年12月14日 論理の飛躍のうち、特に頭がおかしい部分を修正)